会社沿革
明治42年 3月 藤井与吉(重二の父)西洋蜂を購入。
大正7年 6月 飯塚、直方方面へ蜂蜜の販路拡張する。当時蜂蜜百匁三十銭。
昭和6年 4月 販路を中国に延ばし種蜂を売り出す。
昭和15年 9月 県内転飼から鹿児島方面へ転飼養蜂を取り入れる。
昭和22年 5月 北海道方面へ移動養蜂開始。
昭和28年 1月 重二、福岡県養蜂組合長に選出される。
昭和31年 1月 重二、日本養蜂協会常務理事に選出される。
昭和38年 2月 金與(重二長男)全国転地養蜂農業協同組合理事長となる。
昭和41年 5月 恵祥(重二次男)合名会社藤井養蜂場設立、社長となる。
昭和44年 11月 東京地区への販路拡張のため、東京都渋谷区神宮前にミツバチ産業株式会社を設立、新三(重二三男)社長となる。
6月 RKBテレビ「われら一族」として、永六輔担当による「花蜜頃」のタイトルで藤井一族の活躍ぶりを放映。
昭和45年 2月 朝倉小学校跡地に第2はちみつ工場を完成。
昭和46年 5月 NHKテレビ明るい農村で、種子島から北海道までの移動養蜂の実態を4回に分けて放映される。
10月 金與、南米(コロンビア、アルゼンチン、ブラジル)海外養蜂開拓のため視察。
昭和47年 5月 NHKテレビ「話題の窓」で藤井養蜂場の内容紹介。
重二、勲五等瑞宝賞を授与される。
10月 高治(金與長男)南米(コロンビア、アルゼンチン、ブラジル)海外養蜂開拓のため6ヶ月間視察。
昭和48年 7月 コロンビアに現地法人を設立。
10月 ブラジルに現地法人を設立。
昭和49年 4月 ブラジルより研修生を受け入れる。
5月 NHKラジオ「群蜂家族」で連続45日間放送される。
昭和50年 8月 アルゼンチン拓殖協同組合より、金與の養蜂振興寄与による感謝状受領。
昭和51年 1月 藤井社長を団長として、通産省補助の天然蜂蜜買付促進調査のため南米(コロンビア、アルゼンチン、ブラジル)の養蜂視察(1ヶ月)。
昭和52年 3月 金與、福岡県養蜂組合長に選出される。
9月 第三次工場拡張、全自動充填ライン、研修設備、蜜源植物園等(延面積1,560u)
昭和53年 6月 韓国、大韓山林組合連合会より、養蜂技術寄与による感謝状受領。
昭和58年 12月 ミツバチ産業株式会社事務所を目黒区東山1丁目に新築移転。
12月 海外向紹介雑誌(外務省配布誌)に生産部のドキュメントが8カ国で紹介される。
昭和62年 2月 合名会社藤井養蜂場を株式会社藤井養蜂場に変更。
8月 第四次工場拡張。総合施設完成(延面積2,000u)
昭和62年 12月 ハチミツ洋菓子「ハニーファーム」ブランド誕生。
昭和63年 3月 中国山東省に蜂蜜協力工場(華達食品工場)設立に際し、製造・品質管理技術の供与。
11月 北海道川上郡標茶町の北海道養蜂センター全面建て替え。
平成5年 1月 中国江西省上高に蜂蜜協力工場設立に際し、品質管理技術の指導。
平成6年 3月 中国より蜂蜜品質管理技術交流のため研修生受入。
平成10年 1月 蜂蜜ポリ容器全自動充填ライン増設。
平成12年 5月 蜂蜜品質管理、保持のため100トンの大型冷蔵庫設置。
平成13年 4月 中国(湖北省)天元養蜂場と藤井養蜂場の生産技術交流開始。
9月 最小小型容器自動充填ライン増設。
平成19年 3月 藤井高治(金興長男)、福岡県養蜂組合長に選出される。
平成20年 1月 顧問・藤井金興、会長・藤井恵祥、相談役・藤井新三、社長・藤井高治が就任。
平成20年 4月 金興、旭日單光章を授与される。
平成20年 5月 藤井養蜂場6つ目の大型冷蔵庫として、200tの冷蔵庫を設置。
平成21年 4月 創業100周年を迎える。
平成26年 12月   二次加工室改装工事。
平成29年 7月   九州北部豪雨により、本社工場・直売店が浸水。
9月   新・蜂蜜充填工場完成。
平成30年  7月   精製蜂蜜イオン交換プラント増設工事。
10月   緑化優良工場等日本緑化センター会長表彰受賞。
平成31年 4月   創業110周年を迎える。
令和3年 11月   緑化優良工場等九州経済産業局長表賞受賞。
令和4年 2月   新・原料倉庫完成。
10月   会長・藤井治、社長・藤井幹久が就任。
令和5年 6月   NHKテレビ「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」で養蜂家 藤井治の仕事振りが放送される。


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